研修旅行で「熊本城」

2023年11月30日

先日、僕が所属している「砺波瓦販売協議会」の研修旅行で熊本城を視察してきました。

「熊本城」は加藤清正が築いた城で、その後、細川家が居城としました。

富山からは遠いですが、昔、富山を一時期治めた「佐々成政」もわずかな期間ですが居城だったので、縁がないわけではないですが(笑)

2022年現在、完全復旧は2052年度と発表されています

2016年(平成28年)4月14日の「熊本地震」で大きな被害を受け、現在復旧に向けて取り組んでいる最中です!

震災発生当時は、瓦の欠落も大きく報道されましたが、瓦の落下により、建物の損壊が最小限に抑えられたとの説もあり「落下が合理的であった」との見方もあります。

「加藤家」と「細川家」の違いに着目して見学すると楽しいです

戦国時代に石垣を造るのは経済力、技術力を伴う限られた大名にしか難しい時代でした。

「日本でここまで立派な石垣を有する城は江戸城を除いて、無いのではないかと思っています」(初代熊本藩主・細川忠利さん談)

平成9年(1997年)より「復元整備計画」が策定され、30~50年かけて江戸時代の雄姿に近づける取り組みの真っただ中での震災だったので心が痛みますね…

石垣は内部の「盛り土」に「築石・つきいし」と呼んでいる外部に見えている石との間に水はけを良くするための、こぶし大の大きさの「栗石・ぐりいし」を挟んで施工してありますので、職人さんによると1日3個くらいしか積めないそうです。

石を交互に積み重力を斜めに逃がす構造になっています。優れた土木技術があったのですね!

とはいえ、元々の石垣は、かなり頑丈に作られており、過去に地震で被害(20回)を受けた箇所を確認すると建築当初の石垣はほとんど被害を受けておらず、崩落した石垣の大半は、少なくとも一度は修理された箇所との事です。

写真は有名な「扇の勾配」です。梯子が掛けづらく、武者返しがあるので鉄壁の守りですね!

マニアックな話ですが、勾配が緩いのは「加藤家」急なのは、加藤家の後にこの地を治めた「細川家」の作品です。どちらが優れているかが、何百年の時を経て証明されたことを思うと、僕達の仕事にも通じるのかなと思いました。

使用されている木材などは現在では用意できないのではないでしょうか?

天守閣と櫓が連結されており(連結式望楼型3重6階地下1階)天守閣へ登るには、建物の下の通路を通る必要があります。攻める目線で見ると恐ろしいですね(笑)

天守閣はRCで1960年(昭和35年))に再建されました

天守閣の入り口です!職業柄、目線はどうしても屋根に行きます!

「細川忠利」さんはワイン好きで、初めて国産ワインを造らせた人と言われています。(キリスト禁教により中止)

内部には制振ダンパーが紹介されていました。これで、安心ですね!

傾斜が急な石垣は「細川家時代」の石垣で二様と呼ばれ名物になっています。

復興作業の模型です。瓦葺きとなると、気が遠くなりそうです…同行したみんなのお話では、地元の工事組合が力を合わせて施工したとの事…団結したらなんでもできるんですね!

旅行の時は「予習」してから行くとより楽しいです!

鬼瓦の下で使用する「大巴瓦」です。加藤清正が、朝鮮の役の際に朝鮮から持ち帰った(拉致?)職人による作品との事で、又、一段と瓦というものに思い入れが深くなりました!

この「大巴瓦」も古いと言ってもせいぜい10年位前です。今でも屋根でよく見かけます。

我が家の庭に置いてあった古い「大巴瓦」です。なんとなく似ているような気がしませんか?

「軒先瓦」の模様に見えるのは、製造年月でしょうか?

窓からも、瓦が良く見えます。葺き方は「本葺き」と呼んでいる仕様で、現代の「和形」の原型になった形です

この部分は復元部分ですが、築城当時は現在の熊本市東区小山で製造された「銘滴水瓦・めいてきすいかわら」が使用されており、築城年代(慶長4年・1599年)の根拠の一つになっています。

「破風」の原寸大模型で、すごい迫力です!こちらについては、2023年8月17日付ブログ「お寺 懸魚(げぎょ)等の仕上げ作業}でも紹介しています。

ブログの作成が「復習」ですね

説明文です。現在にも伝わっている内容です。

「本丸」にはわずかな庭もなく四方は高石垣に囲まれ櫓も天守も危険な城(細川忠利さん談)戦闘に特化しすぎです!

殿様もこのような眺めを見ていたのでしょうね(笑)余談ですが、地震は昔から多かったらしく、前述の細川忠利さんは怖いから居たくないと感想を述べています(笑)

籠城時の食料対策という説は雄株なので実がならない事から嘘のようです

熊本城は、別名「銀杏城・ぎんなんじょう」です。加藤清正のお手植えと伝わるこの銀杏は、天守閣と同じ高さになった際に兵火が起きると予言し「西南戦争」が勃発しました。薩摩軍が熊本城を落とせなかった事が戦局に大きく影響した事からも、この城の偉大さが分かります。

又、すぐに見に行きたいです!

歴史の話ばかりで恐縮ですが「加藤家」(建設とか組?)と今の広島県を治めた「浅野家」が、徳川幕府の命令で江戸の石垣の修繕を命じられた時に、浅野家は工期前に素早く仕上げる事ができました。対する加藤家は、工事現場で子供たちを遊ばせてゆっくりと作業を進めました。

周りは笑いましたが、翌年、災害が起きて浅野家の石垣が崩落し、恥をかいた上に新たな出費を強いられることになりました。対する加藤家の石垣は、子供たちがしっかりと踏み固めてくれたおかげで全く損壊がなかったそうです。

僕達も業種は違いますが、同じ職人として見習うべき部分でないでしょうか?

復興に向けての確実な歩みを見る事もできました。

今回、見聞きしたことを今後に生かして、これからも仕事に邁進していきたいと改めて思いました。